平日の夜、19時に会社から帰ってくる。駅のコンビニで、いつもの鶏唐揚げ弁当を買う。部屋に帰ったら、19時30分。部屋は暗い。誰もいない。だから、まずテレビをつけるじゃなくて、スマホを手に取る。YouTubeを流す。それが、21時まで。21時になると、ようやく人間らしい時間が、始まる。チャートを開いて、ドル円を見つめる。これが、平日の俺の夜だ。
19時30分、1Kの部屋に帰ってくる ── 孤独のルーティン
部屋は、本当に何もない。リビングと寝室が一緒。洗面台とトイレ。キッチンは、ふた口のガスコンロ。家賃は、月9万。田中川駅から徒歩15分のところにある。新築ではない。築15年の雑居ビルの3階だ。隣の部屋からは、夫婦喧嘩の声が聞こえる。その向こうの部屋からは、赤ん坊の泣き声。その反対側からは、おじさんのいびき。
19時30分。俺は、部屋の電気をつけない。スマホの光だけで、コンビニ弁当のパッケージを剥く。ご飯を混ぜる。唐揚げをかじる。1分で食べ終わる。その後、ご飯の中身をプラスチック容器に入れたまま、放置。洗い物は、週1回だけやる。それ以外は、溜めて、溜めて、週末に一気にやる。
食べた後は、スマホを持ってベッドに横になる。YouTubeを検索する。「深夜ラジオ」とか「都市伝説」とか「世界の危険な場所」とか。ジャンルは何でもいい。ただ、「人の声がする」ことが、重要だ。見知らぬ人間の声が、スマホのスピーカーから流れてくる。それが、孤独を幾分和らげる。
人間関係という「選択肢」が、いつ消えたのか
俺が37歳で、唯一の友人は、中学の同級生だ。奴とは、月1回、居酒屋で会う。だいたい土曜の夜。その時だけ、俺は「人と話す」という時間を持つ。それ以外は、会社の同僚との事務的な話か、店員への「からあげ弁当ください」だけだ。
会社には、同年代のやつらがいる。でも、奴らは既に家族がいる。昼休みの話題は、「子どもの運動会」「妻の実家への帰省」「住宅ローンの話」。そういう世界に、俺は入れない。何言っても、「独身だからいいね」「気楽だね」。その一言で、終わる。返す言葉がない。
恋人も、いない。というか、いたことがない。37年間。一度もいない。20代の時は、出会いがあるかもって思ってた。30代になって、出会いの場は、どんどん減っていった。今、37歳の俺が、新しい人間関係を作る選択肢は、本当にない。
だから、俺は孤独だ。平日の夜、この孤独に耐えられない瞬間が、何度もある。慣れたというか、受け入れた。受け入れたというか、諦めた。その諦めと孤独の間で、毎日、日が沈む。
21時に差し掛かる、その瞬間 ── YouTubeが消える
20時30分くらいになると、俺はスマホを手に取って、時間を確認する。あと30分。あと30分で、21時。その時間が、来たら、今のYouTubeを消す。そして、別のアプリを開く。
それが、XMのアプリだ。チャートだ。ドル円。ユーロ円。イギリス円。その画面を開く瞬間、何かが変わる。俺の脳が、「孤独を受け入れる脳」から「相場と対話する脳」に、切り替わる。
それまでの2時間は、YouTubeの「人の声」を受け身で聞いていただけだ。でも、21時のチャートは、違う。俺が見ないと、何も判断できない。経済指標が発表される瞬間、チャートが動く。その動きを見て、「次どうなる」と予測する。その予測が、当たるか外れるか。その結果が、全部、俺の「判断」に依存している。
孤独で、話し相手がいない。でも、チャートの前では、俺は「判断を迫られている存在」になる。それは、YouTubeで人の声を聞くのとは、全く違う。
チャートという相棒 ── 深夜2時まで、一人じゃない感覚
21時から、俺はチャートを見始める。最初は、デモ口座で練習した。実際に小額を入金してからも、最初は怖かった。実際に金が減る。その恐怖。でも、その恐怖が、俺を「孤独」から救った。
なぜなら、恐怖があるから、気が張る。気が張るから、チャートを離せない。チャートを離せないから、深夜2時まで、ずっと画面を見ている。その間、俺は孤独じゃない。チャートという「相棒」がいる。そのチャートと、一緒に闘っている。
平日の夜、21時から深夜2時。その3時間。それが、今、俺の人生で一番、「生きている」と感じられる時間だ。昼間の会社での仕事は、ルーティン。やることが決まってて、判断の余地がない。でも、チャートの前では、毎秒、新しい情報が流れてくる。毎秒、判断が必要だ。その緊張感。その集中。それが、俺の脳を覚醒させる。
20時から20時30分。その時間帯は、特に重要だ。なぜなら、それはロンドン市場が開く前の時間だから。ニューヨーク市場の終わりと、ロンドン市場の始まりの狭間。その時間帯のチャートは、最も読みにくい。でも、読みにくいから、集中できる。読みにくいから、その先を予測する。その予測という行為が、俺を孤独から救う。
コンビニ弁当と、チャートの間にある人生
平日のルーティンは、変わらない。朝7時に起きる。会社に行く。同じことをする。帰ってくる。コンビニで弁当を買う。部屋に帰ってくる。19時30分から20時30分までYouTubeを見る。21時からチャートを見る。深夜2時に寝る。6時間睡眠。毎日同じ。
その同じことの中に、唯一の変化があるのが、21時から深夜2時。その3時間だけ、何かが起こる。何か新しい判断が起こる。何か新しい学習が起こる。その3時間があるから、俺は、毎日を生き延びることができる。
コンビニ弁当は、毎日、同じ。鶏唐揚げ。その味は、変わらない。でも、チャートは毎日違う。毎日新しい形になる。毎日、別の物語が流れる。その違いが、俺の人生の中で、唯一の光だ。
隣の部屋の喧嘩も、向こう側の赤ちゃんの泣き声も、聞こえなくなる
21時から深夜2時。その時間帯は、隣の部屋の喧嘩が聞こえることもある。「お前、何やってるんだ」「知らない」「知らないじゃねえ、責任を取れ」。そういう声が、壁を通して聞こえてくる。
その時、俺は思う。「あの夫婦は、話し合ってる」。話し相手がいる、ということだ。喧嘩をするほど、深く関わってる、ということだ。俺には、その喧嘩さえもない。誰と話すこともない。
でも、チャートを開いた瞬間、その隣の部屋の声が、遠くなる。赤ちゃんの泣き声も、遠くなる。おじさんのいびきも、遠くなる。俺の脳が、全部、チャートの動きに集中しているから。その集中が、深い孤独を、一時的に覆い隠す。
朝4時に起きる俺もいるが ── その日は、21時が来るのを待つ
たまに、朝4時に目覚めることがある。不眠症の名残だ。その朝4時は、地獄だ。窓からは、まだ完全に真っ暗。隣の部屋も、向こうの部屋も、静まり返ってる。その静寂の中で、俺だけ起きてる。その時の孤独は、本物だ。
だから、朝4時に目覚めた日は、その日の21時が来るのを、待つ。午前中の仕事をする。昼飯を食べる。午後の仕事をする。帰ってくる。弁当を食べる。YouTubeを見る。そして、21時。チャートを開く。その瞬間まで、ずっと待ってる。
それは、本来は不健全だと知ってる。毎日、21時のために、昼間を耐える。その人生が、健全なはずがない。でも、それが、今の俺には必要だ。その3時間がなかったら、俺は、多分、この部屋の天井を見つめることになる。それで、動かなくなる。その方が、もっと危険だ。
「孤独の質」を変える、ということ ── チャートという処方箋
俺が医者に行って、「孤独に耐えられません」って言ったら、多分、カウンセリングか精神安定剤だ。でも、俺はそうじゃなかった。俺が必要だったのは、「孤独の質を変える」ことだ。
完全に孤独を消すことは、多分、もう無理だ。37年の人生の中で、そういう選択肢を消してきた。だから、孤独を消すんじゃなくて、その孤独と向き合う時間を、変える。受け身の孤独から、能動的な孤独へ。チャートの前での孤独は、選択された孤独だ。俺が、選んだ孤独だ。その孤独の中にいる3時間は、本来の孤独じゃない。
それが、チャートをやる理由の全部だ。金を稼ぐためじゃない。将来を変えるためじゃない。ただ、21時から深夜2時の3時間を、孤独じゃない時間に変えるためだ。その3時間が、俺を、毎日の死から救う。
21時、チャートが開く ── その先にあるもの
平日の夜、孤独に耐えられないまま過ごしていた毎日の繰り返しの中で、唯一、変わるのが、チャートだ。チャートは、毎日、新しい形になる。毎日、新しい動きになる。その動きに、俺の脳は、集中する。
37歳の俺が、もう恋人を作ることは、難しい。もう新しい友人を作ることも、難しい。もう、昼間の人生を大きく変えることも、難しい。でも、21時から深夜2時のその3時間は、俺が支配できる領域だ。その領域の中で、俺は「判断者」になれる。「戦士」になれる。「孤独の中の誰かになれる」。
それで、十分だ。人生全部を変えるわけじゃない。ただ、平日の夜のその3時間だけ。孤独に耐えられない夜を、「戦いの夜」に変える。その3時間があれば、俺は明日も、この1Kの部屋に帰ってくることができる。
── 田島タカシ
▶ 俺がXMを選んだ全理由を、1ページにまとめた。
▶ FXに興味が出てきたなら
「やってみたいけど何も分からない」── そんなお前のために、俺が全部調べて書いた。